はたけに植わる舟

無駄を模索している

クッソ~って糞じゃ?

 

本日は日頃から耳にする言葉に対してホワイジャパニーズピーポー的見地から、コペルニクスもリアクションに困る程度のクエスチョンを投げかけていきたいと思います。

しかしカタカナが豊富な文はやはり頭の良いふいんきがありますね。そう思いましたけど、「カタカナ」ってカタカナなのに頭良さそうではないことに気づきました。カタカナは頭良さそうであるべきなので、「カタカナ」には今後一切を片仮名として生きていってもらうことにします。逆に、字面の密度が高くなって贅沢な名前じゃない?湯婆婆に怒られそう

 

あったまってきたところで、本題の1億人に1人くらいは目からうろこが落ちるかもしれない言葉の疑問をアンチ湯婆婆がじきじきに呈していきます。

 

クッソ~って糞じゃ?

表題作(?)ですね。もうすでにタイトルを読んだ時点で勘の良い方は私の言いたいことにピンと来ているのではないでしょうか。

「クッソ~」とはすなわち「あんにゃろめこんにゃろめクッソ~!」のそれですが、これは品詞分類でいえば感動詞に当たる言葉かと思います。英語でいえば「Shit!!!!!!!!!!」ですか? まあそれはどうでもいいですが、実はこの言葉、生き物の茶色い方の排泄物を意味する「糞」から来ているんじゃないですか?

ああ、聞こえる。

(なんだそんなことか)(それしかねえだろうが)(ガキが……ナメてると潰すぞ)

メンタリズムを履修していない私でも読者諸賢がそう思われたであろうことは容易に推察できます。しかし、虚心を坦懐にして今一度よくよく想像してもらいたいんです。そうすればきっとこの世の真理の一端が垣間見えるはずです。いきますよ。さあ、あなたは思わず言葉が口をついてしまうほど悔しい出来事に見舞われてしまった!その時、放たれる例の感動詞……!

「クッソ~」

……ハイ、それでは今言葉を吐いたあなたの頭の中に、生き物がひり出すあの茶色い排泄物がわずかでも思い浮かびましたか?

そう

否、否であります。このとき、クッソ~はただの感動詞。そこに臭くて下品なナニブツかは脳裏に存在しえない。つまり、私たちは「クッソ~」を「糞」から分離して捉え、単独で悔しさを表現する言葉として無意識下にインプットしているのです。

……とんでもない事実を目の当たりにしたことでしょう。私もつい先日に悟り得たことではあるのですが、もう気づきの瞬間には天地がひっくり返る思いでくらくらと目が回ってしまったものです。

ナニ? そんなことはヘリクツだと? フン。屁だけに、というわけですね(フンは糞にかけているレトリック)

しかし上等、その批判はすでに内省によって通った道です。といいますのも、例えばとても穏便ではいられないことに対し「クソやんけ」などと私なんかは言いますが、この時にほんのわずかではありながらも私の脳裏には確かにあの茶色のブツが因子として組み込まれていることを感じます。百分率にして0.01%くらい。これはおそらく、クソッタレなどに類して対象への罵倒の意が込められているために、汚らしいものの象徴たるアレを意味のどこかに含んでいる必要があるのだと思います。ですから、「クソやんけ」のクソは糞と完全に分離されているわけではありません。

その観点から演繹していけば、罵倒ではなく痛恨であることを表すための「クッソ~」におかれては含意に糞因子を擁していないことが明白も明白、歴歴然なわけであります。よって、「クッソ~」は糞と一線を画すべき言葉だと言い切ってよいでしょう!!!!!!

 

ここまでの「クッソ~」における糞認識をしっかりと頭にたたき込んでから、もう一度表題の疑問を振り返ってください。

あれ、「クッソ~」って生き物の茶色い方の排泄物を意味する「糞」から来てるんだっけ?

……えーと、うん。糞の意味は感じないけれど言われてみれば確かに糞だ。

そうしみじみ思えたなら、あなたは事の真理へと一歩近づいたというわけです。

どれだけ言うも愚かなことであっても、浅瀬からぼんやり眺めているのではいけません。何事も、浮かんだことをすぐさま表象してしまうのではなくて、そこから連なる物事の論理をたぐり寄せてより深い理解、奥底に眠る真理へと到達する心がけが肝要となってくるわけですね。

 

~おわり~

 

今日の自己評価

★★☆☆☆

何の話? 着地点はどこなんだ。目からうろこと目からうんこをはき違えてないか? ただパッションは感じたので星2。